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    人生の指針 00020

    >メインページへ  20050919 00020

    人生の指針

     

                        

    霊は全ての全てにして

    肉体はこれ霊の影

    人生の大河を流るる小舟なり

    小舟はあくまで小舟にして

    船頭なくば 座礁せん

    船頭 即ち 心なり

    心もし過てば

    小舟は岩に砕かれん

    しかして竿は 法語なり

    人生の急流にこそ竿さして

    小舟の針路を正しうす

    法語 即ち 霊言なり

    聖霊来たりて霊言し

    霊言 光の珠となる

    この光の珠こそ法語なり

    法語はこれ神理にして

    人の生命(いのち)を輝かす

    神の火花の結晶なり

    (P11~P14)

     

     

    1%の罠

     

     

    90年代の教義修正で、「霊言集」は「方便の時代」の遺物として切り捨てられることになりました。しかし根本経典「正心法語」には、上記のように書かれていたものだから、大変な矛盾を抱え込むことになります。

     

    そこで解決策として、根本経典を新たに書き直し、それまでのモノを封印してしまうことにした。そうすることで教義と根本経典との関係の整合性を保とうとしたのだと思います。これはつまり、初期とそれ以降とでは、根本精神が変わってしまっているということを意味しています。

     

    初期の頃の精神とは、「霊言」を大切にするという姿勢であり、霊言を送ってくる高級諸霊に対して畏敬の念、感謝の念を持っていたこと。神仏の前に額ずき、教えを請う謙虚さ。自分に厳しく、人にやさしいという姿勢。こうした誠実さが初期にはあったと思います。「初期とそれ以降とでは、似ているようではあるけれど、似て非なるものである」。非常に重要な点であります。

     

    ただ、教義修正で、教えの内容が、180度正反対になってしまったわけではないのです。おそらく教えの内容に関しては、初期とそれ以降でも、大筋において一致しているかのように見えると思うのです。しかし肝腎要の部分をいじられてしまったので、表面的にはそれほど変質しているようには見えなくても、本質においては別ものになってしまったと私は感じています。

     

    たとえば、偽救世主(※サタン)は、99%まで正しい教えを説き、残り1%の部分に非常に巧妙な罠を仕掛けると言います。巨大なダムも、一見、取るに足りないと思えるような針の穴が原因で決壊するそうです。サタンの1%の罠とは、ダムの針の穴と同じなのです。りんごの木箱に、一個だけ腐ったリンゴを混ぜておくと、他のリンゴもダメになってしまいます。

     

    サタンの1%の罠とは、この腐ったリンゴと同じなのです。全体から見れば、ちっぽけなモノに見えるのです。しかし、このちっぽけな歯車が、次の小さな歯車を回し、段々と大きな歯車を回して行き、やがて全体を狂わせて行くのです。

     

    ユートピア建設運動を頓挫させるには、ダイナマイト で総合本部を爆破するようなマネをしなくてもよい。腐ったリンゴを一つ混ぜておけば、後は自然に崩壊していく。針の穴のような傷をつけておけば、やがてそこから崩れ去るということなのです。

     

    急所の部分に目に見えないような小さな仕掛けをしておけば済むことなのです。そして、この1%の罠の専門家が、現実に存在していて、正法が説かれるところで常に暗躍している。このように書くと、何かあると直ぐに「魔」のせいにするといって批判されるのですが・・・・・・。

     

    「悪魔と彼の友達の物語」という不気味な話があります。

     

    ある修行者が、悟りを開いた。

    それを見た悪魔の友達は、悪魔に向かって言いました。

    「君にとって厄介な事態になったね」・・・・・・、

    しかし、悪魔はニタリと笑って、こう答えました。

    「いや、それほどでも。それどころか、私は、彼がそれを組織化するのを助けるつもりだ」・・・・・・。

    ※「悪魔と彼の友達の物語」は、ジッドゥ・クリシュナムルティの「クリシュナムルティの瞑想録」に書かれていたものをアレンジしました。(2008.2.4追記)

     

    これなども1%の罠だと思います。宗教の組織化という大義名分は、悪魔にとっては、1%の罠を仕掛けるのに非常に好都合な取っ掛かりになるのですよね。”組織化”という正しいことを推進しているという思いは、慢心や選民意識と紙一重になりやすく、悪魔は、この部分に揺さぶりをかけてくる。この時に平気でいられる人は、ほとんどいないと思うのです。

     

    根本経典が封印されているという事実、これが何を意味するかということを、皆様にもじっくり考えていただきたいと思います。

     

     

    自燈明・法燈明

     

     

    「肉体」は、人生という大河を流れる小舟で、その小舟をあやつる船頭が、「心」である。船頭が正しい判断をして、小船を巧みに操れば、急流の時も乗り切っていくことができる。しかし、船頭の判断が過てば、小船は岩に叩きつけられ、木っ端微塵となる。人生の旅は、船頭すなわち「心」しだいであるということなのです。そして「心」の指針となるものが「霊言」であるということです。このように経文には書かれています。

     

    ここで大切になってくるのは「自燈明・法燈明」です。霊言は、法語であり、神理でありますが、これを金科玉条としてガチガチの生き方をしてはいけないということです。

     

    なぜか。そうした教条主義・形式主義は、パリサイ人と同じだからです。イエスを迫害したのは他ならぬパリサイ人で、それと同じ過ちを繰り返してはならないのです。我々は、自分自身の心の奥に神の子の部分、如来の部分が秘められていることを信じることだと思います。

     

    霊言は、神性、仏性を引き出すための呼び水だということです。素晴らしい教えに接した時、心が打ち震えます。これは内部神性が共鳴しているのだと思うのです。理論的に正しい教えは数多くあれど、魂が震えるような、魂が熱くなるような教えは、滅多にありません。この魂の震えを感じたなら、己の感覚を信じて、それを指針にしていくのが良いと思います。

     

    アーナンダよ、まことに今においても、また、わがなき後においても、自らを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とすることなく、また、法を燈明とし、法を依所として、他を依所とすることなくして修行をしようとするものは、アーナンダよ、かかる者はわが比丘たちの中において、最高の地位にあるものである。

    (大般涅槃経より)

     

    これはお釈迦様の「自燈明・法燈明(じとうみょう・ほうとうみょう)」の教えです。ここにはハッキリ書かれています。この教えは、仏陀亡き後の時代のためだけのものではなく、いついかなる時であっても通用する教えなのです。たとえ仏陀再誕の時代であっても、「自燈明・法燈明」なのです。

     

    これもコインの裏表であって、一方に傾くと間違っていくのです。自分の心を盲目的に信じるのも間違いにつながっていくのです。教条主義に陥っても間違っていきます。「自燈明・法燈明」、二つで一つです。どんなに素晴らしい霊言が降ろされているとしても、それを盲信してしまい、自分の心の奥の声を押し殺してしまうようなことをすれば、「自燈明・法燈明」ではなくなってしまうのです。

     

    霊言を指針にするもしないも自分自身が決めることなのです。そして指針とした結果、失敗しても、それは誰のせいでもない。指針とした自分自身の責任だからです。自分自身がこうしようと決めて、やったことは、結果はどうあれ、すべて自分自身の責任。

     

    これは、「自己責任の原則」といって、自由意志を与えられている人間すべてが背負っている十字架のようなものです。自己責任から逃れたかったら、自由を放棄してロボットになる以外に方法はない。

     

    「人生は一冊の問題集である」といいます。霊言依存症の人というのは、自分で人生の問題集を解く努力を厭い、霊言というカンニングペーパーを見て、高得点を取ろうとするような心根の人と言ってよいかもしれません。これが一番楽ですからね。

     

    しかし、そういう安易な他力的姿勢では、いつまで経っても魂の成長はないと思うのです。また、何でもかんでも自分の心のみを盲信して、他の諸聖賢の言葉を軽んじていると、浅い悟り、野弧禅で終わってしまうことでしょう。

     

    霊言や諸聖賢の言葉を、ありがたく受け止めるのがよい思うのです。しかし、あくまでも参考書としてです。解答ではないのです。人生の問題集を、霊言を参考書として、そして自らの心に深く深く問いかけながら、一つ一つ自分自身の力で解いていく努力をしたいものであります。

    コメント (1 件)

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    大和 春道 さんの投稿:
    「悪魔と彼の友達の物語」は、ジッドゥ・クリシュナムルティの本を参考にして、まとめました。

    自燈明・法燈明の教えは、非常に重要だと思う。自燈明・法燈明の精神には、盲信・狂信の欠片もない。
    10 月 3 日

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