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エル・ランティ 00085>メインページへ 20060318 00085 エル・ランティ
エル・ランティ宣言
たしかに、霊界の秘密は、おもしろい。また、シルバーバーチの霊言のように、本当に役立つ霊的知識を伝えてくれるものもある。しかし、基本的には、上記の谷口雅春先生の言葉を教訓とするべきであろう。
「新興宗教の教祖は、しばらくすると神様になってしまう」、これは、ほとんど法則ですね。残念ながら、高橋信次先生も、死の何ヶ月か前に、「エル・ランティ」の生まれ変わりであるということを宣言した。エル・ランティとは、太陽系霊団の真のメシアであって、釈迦、キリスト、モーゼは、エル・ランティの分霊である。ま、このような秘密が明らかにされたのです。
これをどう受け止めるかですね。他の新興宗教の教祖たちと同列に見るのか?つまり、増上慢になったと見るか?それとも真実と見るか?
通常の教祖さんは、すぐに「生き神」さんになります。そして神の唯一の代理人として絶対的な権力を持って、信者さんから、お金を巻き上げます。しかし、高橋先生は、信者からお金を巻き上げたことが、一切なかったそうです。講演会なども全て無料で、必要なお金は、全て持ち出しだったそうです。それは、神の教えを実践してみせたのですね。「太陽は、ただひたすら、光を放ち続け、万物を育んでいる。そして、一切の見返りを求めない」これが正法なのだ。「正法神理で、お金儲けをしてはならない」という信念を貫いたのです。
これは、本当にすごいことでした。信次先生は、自分で働いて、稼いだお金で、講演会などで必要になるお金を出していたのです。まさに太陽そのものの人生でした。48歳で死ぬであろうことは、もう何年も前から知っていて、親しい人などには、そのことを知らせていたそうです。にもかかわらず、エル・ランティ宣言をしたのは48歳の時なのです。それまでは、自分自身の過去世については、語っていなかったのです。つまり、過去世で勝負するつもりなんてなかったのですね。
おそらく、メシアの自覚はあったと思います。しかし、それを胸に秘めて法を説きつづけ、死の直前に、宣言したのだと思うのです。救世主信仰になることを危惧したかもしれませんね。また救世主として崇められるのが嫌だったというのもあるでしょう。じゃ、そんな宣言もせずに、静かに死んでいけばよいではないか?という意見もあるでしょう。しかし、救世主には、宣言する義務みたいなものがあるようです。そして、再誕などに関する予言もしていくようですね。
たとえばお釈迦様は、大悟した後、最初の弟子たちの前で仏陀宣言しています。そして、死の直前に、2500年後、東の国に生まれ変わると予言していったそうです。イエス様も、弟子達には、予言されているメシアであることを仄めかしています。「人の子は、十字架に架けられる。しかし、三日後に復活する」と。また裁判の時、メシアであることを認めています。
やはり、大きな教えが説かれる時は、そうした宣言というのが大切になってくるのでしょう。ただ、それをネコも杓子もやるので、世の中が「生き神」だらけになって、混乱してくるのですね。末法の時代というのは、偽預言者やメシアを名乗る者が、次から次へと出てくる時代なのです。まさに今の時代です。しかし、末法の時代が窮まったときが、正法の時代の始まりなのです。正法は、末法の時代に説かれるのであります。それが今であります。今は「終わり」と「始まり」が入り乱れている時代なのです。
こうした時代には、いろんな偉人があらわれます。しかし、そうした人たちの多くは、救世主をサポートするために、志願して生まれ出てきているのです。こうした偉人たちも、正しい教えを説くのです。だから、救世主以外はすべて偽者かというと、そうではありません。救世主は大輪の花なのですね。しかし神の花園には、その他にもいろんな美しい花々が咲いているのです。そうした花々もまた、神の火花であります。一つだけの教えで、人類全体が救われるのではありません。小さな花であっても、それが正しいものであるのならば、その教えによって救われていく人々もたくさんいるのです。お互いに認め合うべきなのです。
救世主というのは、ひとつの時代に一人だけなのだそうです。しかも、その時期には、偽メシアが続出します。だから、見極めるのが難しいのです。僕は、高橋信次先生は、メシアだったと思っています。高橋信次先生に肯定的な人でも、エル・ランティ宣言に関しては、首を捻る人が多いです。しかし僕は、エル・ランティ宣言も信じています。これは信仰の問題ですから、真実かどうかは、わかりません。ただ僕は、信じています。
初期「幸福の科学」での位置付け
初期「幸福の科学」では、大筋において高橋信次先生の説かれた教えを継承していました。しかし、過去世認定に関しては、微妙に食い違っています。真実は一つだから、どちらかが正しければ、もう一方が間違っているということになります。このあたりの問題に関しては、正直言って、僕には分かりません。また重視していませんので、追求する気がないのです。たとえばこういうのがあります。高橋先生は、最澄を高く評価しています。しかし、大川先生は、最澄は無間地獄に落ちているといいます。
こうした部分にあまり引っかかると、どっちかが嘘つきであると決めなくてはなりません。僕個人は、どちらの教えにもいい部分があると思うので、一方を切り捨てるというやり方はしていません。矛盾した部分は、矛盾した部分として認識して、保留にしておく。そして次に進むという考え方ですね。その考え方が、いいか悪いかは知りません。人それぞれですから。
では、初期「幸福の科学」におけるエル・ランティについて書いていこうと思います。人霊として最高段階の悟りの次元を九次元宇宙界といいます。その世界には、10人のメシアが存在している。その一人がエル・ランティ。九次元の10人は、一応同格ですが、あえて上段階と下段階に分けるとすると、上段階は、エル・ランティ、モーゼ、釈迦、イエス、孔子の五人。下段階は、ニュートン、ゼウス、マヌ、マイトトレーヤ、ゾロアスターの五人だということです。
エル・ランティは、三億六千万年前に、マゼラン星雲のベータ星という科学の星から、六千万人の人々を引き連れて地球に移住してきたそうです。肉体を持ってUFOに乗ってやってきたそうです。その時に、七大天使たちも一緒に来たようです。ミカエル大天使長は、エル・ランティの直系ですね(^^;。エル・ランティは、地球で死んで、地球の九次元宇宙界の五番目の存在となりました。それまでの宇宙界は、釈迦、イエス、モーゼ、孔子の四人でした。エル・ランティは、地球霊団をつくるために、招聘されたのです。
エル・ランティ到着後、地球が急速に進化したので、エル・ランティは「進化神」として九次元の中でも一目置かれる存在であったようです。九次元の10人は、同格とはいえ、光の量には、やはり差があるのです。だから、本当は序列をつけることができるはずなのですよね。霊界通信などから想像すると、どうも、エル・ランティの光の量というは別格であるような感じです。
高橋信次先生は、エル・ランティの生まれ変わりなのですが、実は、これは、三億六千万年ぶりの生まれ変わりだそうです。生まれ変わりには、周期というものがあって、それは悟りの段階によって異なります。原則は、高い悟りになるほど、生まれ変わりの周期が遅くなっていくそうです。釈迦やイエスは、わりとよく生まれ変わるほうで、大体2500年周期です。8次元の如来は、1000年から1500年ぐらい。菩薩は800年ぐらいといった感じで、きっちり線引きできるようなものではありません。
エル・ランティは、地上に降りたことがなかった存在なので、天上界でも神秘的な存在だったようです。ヤハウェとかアラーと、砂漠のほうで呼ばれている神、これは造物主、創造主と考えられているのですが、実はそれがエル・ランティだったということです。その神秘の存在がとうとう、三億六千万年ぶりに生まれ変わってきた。それも日本に。そしてその正体は、なんと電気屋のおっさんだった。これは、まあ、信じられませんわな(^^;。
しかし、高橋信次先生の教えを受け、そのケタ外れな力を目の当たりにしてきた人々は、信じているのですね。奇跡現象は枚挙にいとまがないのですが、あまりにもケタ外れで、ちょっと信じてもらえそうにもありませんので、省略します。インターネットで調べると、ケッコー調べているサイトがあるので、興味のある方は調べてみてください。ま、そうした奇跡現象が、真実であるのなら、救世主であるというのもうなずけるのではないかと思います。
三証(文証・理証・現証)
高橋信次先生の教えは、原始仏教です。哲学化してしまった仏教の本来の姿を、再現したのです。正法であることを証明するためには、三証が必要です。三証とは、「文証(もんしょう)」「理証(りしょう)」「現証(げんしょう)」の三つです。
「文証」とは、経典に証しを求めることです。たとえば信次先生の教えの根幹は、四諦八正道です。経典に残されている通りです。八正道は、現在的に手直しされていますが、基本的には同じです。またイエス様の教えなどと照らし合わせても矛盾はないと思います。
「理証」とは、理論的な証明です。信次先生は、優秀な科学者ですから、これは得意分野です。残された著書を読めば分かることですが、非常に科学的だと思います。もちろん、霊界のことを書いているので、100%の証明は不可能ですが、当時のレベルとしてはギリギリの線まで迫っていたのではないかと思います。
「現証」とは、現実に証明することです。これがすごかったのですね。何でもありですね。ビデオに残っているものとしては「霊道現象」が圧巻ですね。地獄霊や魔王も信次先生の前では、どうすることもできない。心境の高い人は、信次先生の光で、心の窓が開いてしまって、過去世を思い出してしまう。そして異言を話し始める。金粉の物質化現象などもあったそうです。これは、実際見てみるのがよいと思います。こうした出来事は、全て「現証」ですね。透視などもすごかったそうです。
しかし、最大の「現証」は、その生き様だったと僕は思います。信次先生は常々、次のようなことを説かれていました。「教祖さんの日常生活を見れば、その教えが本物であるか偽物であるかが、すぐに分かる。どれだけ偉そうなことを説いていても、日常生活が、欲ボケ、色ボケの教祖さんは、絶対に信じてはいけない」。どうでしょうか?今の教祖さんたちのなかで、信者からまったくお金を集めない教祖さん、いるでしょうか?メシアだといいつつ、何人もの女性と関係している色キチガイの教祖さまはたくさんおられるようですが、それが本当のメシアだと言えるでしょうか?
如何なる理由があろうとも、法外なお金を要求するような宗教は、邪教だと思って間違いないです。「大神殿を建てるのに5億円必要なのに、まだ半分しか集まっていない。神はお怒りである」、言語道断ですね(^^;。椅子を蹴って帰ってきてください。大神殿など必要ないのです。この地球自体がご神体であります。彼らは地獄の亡者どもに操られているクサレ外道なのです。お布施は真心です。今の宗教はお布施を強要します。
太陽は、一銭も求めてきません。それでも、善人にも悪人にも光を与えつづけるのです。地球も、一銭も求めません。しかし、人間や動物達に、全てを無償で提供しています。これが正法です。なのに、クサレ外道たちは、お布施の金額で、信者たちのランクをつけていきます。こんなのは、もう正法でもなんでもない。
イエスは言いました。「真理は汝を自由ならしめん!」と。しかし、クサレ外道たちは、「地獄行き」をチラつかせて、信者の魂を縛り上げていきます。イエスは言いました。「永遠の命を得たいのなら、まずあなたの全財産を売り払って、それを全て貧しい人たちに施してから、私にしたがいなさい」と。しかしクサレ外道たちは、こういいます。「金に執着してはいけない。執着を断て!そのためには、あなたの全財産を教団に寄付することです。それが神の願いなのです」。金に執着しているのは、本当はクサレ外道のほうなのですね。
また、クサレ外道たちは言います。「私の言葉を信じよ。私は神の使者である。私を疑う者は、神を疑う者である。そのような者は、阿鼻叫喚地獄行きが確定する。また私が神の使者であるということは、我が教団は、神の砦であるということ。教団の指導に服従しなさい。教団の和を乱したり、教団の方針に異を唱えるものもまた、阿鼻叫喚地獄が待っている」。恫喝そのものです。
信次先生はこういいます。「疑問が出たら、追求してください。疑問、探求、そして解明。この繰り返しによって、人は真理に近づいていくことができるのです。疑って疑って疑って、もうこれ以上疑うことがなくなったら、どうか信じてください。分からない点があれば何でも聞いてください。私には、すべての疑問に答えることができるのです。なぜなら、私もまたそうした疑問、探求の繰り返しによって、すべての謎を解明してきたからです。また仮に私の分からないことであっても、私の指導霊達が教えてくれるのです」
こういうのを「絶対的な権威」!というのでしょうか。今までの教祖さんたちで、このようなことを言った人は一人もいません。「我を信じよ!我は神である」の一点張りです。こうした信仰の強要は、最初は本当に正しかったとしても、どこかでスリ替わっていくのですね。
盲目的に信じてはいけないのです。どんなに偉い人も人間です。どこでどう間違っていくか分からないのです。だから「疑問」が出たら、追求していくべきなのです。そうした疑問探求を、許さないような教祖さんや組織は、何か後ろめたいところがあるのです。どうか、自燈明・法燈明ということを忘れないでいただきたいと思います。
ただ、「疑う」というのが、興味本位であったり、否定を前提としたものであってはいけないのですね。あくまでも、真摯な真理探究の過程で浮き上がってくる疑問という意味です。人を小ばかにするような揚げ足取りを、疑問に見せかけて、最終的に否定に持っていこうとするような、そうした姿勢の人は、神理の世界の門をくぐらないほうがよいのです。
ともかくクサレ外道たちをのさばらせてはいけないのです。彼らは恫喝と信仰の強要で、救いを求めてきた迷える人々や、善良な人々や、ユートピア建設に燃える勇者たちを洗脳して、教団の集金システムに組み入れようとしているだけなのです。彼らを儲けさせたら、さらに被害者は増えていくことでしょう。そんな悲劇は、もうそろそろ断ち切っていかなければならないと思います。
話が少しそれたようです(^^;。えー、信次先生の最大の「現証」ですね。 高橋信次先生の日常生活というのは、信次先生の説く教えの通りだったと思います。一番驚嘆するのは、やはり「お金」の部分でしょう。ほとんど持ち出し。大神殿・大仏殿、一切つくらない。お守りもペンダントも販売しない。これは、もう真似できることではないのです。どんなに偉そうなことを説いていたって、日常がその教えに釣り合っていないのならば、そんな人の言葉には、人を救っていくだけの力が宿るわけがないのです。
「教え」だけでは、どうしても人は納得しないのですね。しかし、そこに現証が加わると、疑い深い人も、「正法」だと認めざるを得なくなってくるのです。そして一番地味に見える日常の行いが、意外にも、決め手になる「現証」であるということを知っておいて欲しいと思います。
この三証がそろって、その教えが「正法」だと証明されるのです。高橋信次先生の教えは、この三証が揃っていたと思います。 评论 (2)
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